「討論のある授業」の実際


「問いの文」を作る授業(前)

 
◇国語・説明文『一秒が一年をこわす』の4時間目の授業を校内の先生方に見ていただきました。
 
「説明文にあるはずの“問いの文”が、ない。 じゃあ、どうすればいい?」
「作ればいいです。」
「じゃあ、作ろう。」
というわけで、

「〜か。」で終わること。だいたい二十文字。
 
という二つの制限を付けて作らせました。当然、“まとめの文”であるGにも対応していなければなりません。
 
 さて、“問いの文”を作るのは初めてとあってか、反応はいまいちでした。最初にノートを持ってきた7人の文を黒板に書かせました。よくぞ自力で書いたものです。これだけでも、立派です。

→なぜ、このままの活動を続けるのか。
→この中で一番悪い原因を与えているのは何だろうか。
→地球は便利になっているのだろうか。
B→私達は便利な生活を送っていいのだろうか。
K →人類が永遠に生きていけるのか。
M→このままの活動を人類が続けていればどうなるのか。
K→なぜこんなに地球上の資源やエネルギーを使わなければならないのか。
 
 ここからの流れを示します。

(1)「これだ!」と思うものに、ネームをはる。
   (これで残ったのが、Tさん、Bさん、Mさん、Kさん)
(2)そう考える理由を書く。
(3)話し合いをする。
 
 三泉小学校の校内研究会のテーマは、「高め合い」です。自分の意見を持って、みんなの意見を聞いて、そしてよりよいものへと高め合っていくことが必要なわけです、
 でもでも、それが難しい。だからこそ、研究の対象になるわけですね。
 
 「高め合い」の結果です。
 話し合いにより、残ったのが、BさんとMさんの“問いの文”でした。
 Gへの対応を考えて、もう一度どちらかを選ばせてみると、

 Bさんのがいい→17人
  Mさんのがいい→10人
 
という結果でした。
 最後に、私があらかじめ書いてきた“問いの文”を発表しました。

先生→このままでは、地球はどうなるのだろうか。
 
 Mさんのに似ています。が、私のが正しいとも限りません。この点については、放課後の先生方の話し合いでも話題となりました。             (つづく)
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